カイメイ中心
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メイコ愛をこっそり謡う
黎明、陽が昇る。
カイトを目覚めさせるのは常ならばノックの音だった。カイトの予定を鑑み、近侍の誰か一人が部屋の戸を叩く。それが常だった。
けれどその日カイトを目覚めさせたのはそれではなかった。
射し込む暁光すらなく、鳥の声よりも早く。カイトは目覚めさせられた。ただ昂揚感に。
メイコに会えるという喜びが、カイトを目覚めさせた。厚い扉を重々しく叩く音にさえ苛立ち目覚める常とは、異なる理由にカイトは口角を上げた。秋口に差し掛かり少し厚くなった布団をのけ、ベッドに身を起こす。空がようやく白み始めていた。
昨晩もさして早く眠れたわけではなく、けれど頭は冴えている。ゆっくりとベッドから足を下ろし、サイドボードにおかれたランプに火を入れた。
上流家庭の者のうちではこんな身の回りのことも使用人にやらせるのが普通になっている。手を汚さないことが上流階級のステータスなのだそうだ。カイトも昔は、着替え一つ自分ではさせてもらえず、できなかった。するようになったのは、第一にはメイコがしていたからだ。
カイトの母は、自分は着替えも何も身の回りの一切をせず、絹の手袋をはめていた。けれど仮にであっても娘のメイコには、すべてを自分でさせていたのだ。その真意は知れない。
メイコの子守歌を好いて、頻々と同衾をねだっていたカイトはそのうちに、自分のしていないことを愛しい姉がしていると気が付いた。彼女がするならば自分もする、と言われた当時の使用人たちはさぞ困っただろう。だがあの時からカイトの第一はメイコで、メイコの為す全部をなぞりたがった。なぞりたかったのだ。
言葉遣い一つを取ってもそうだった。弟に敬語でもって話しかけるメイコを真似、丁寧な言葉を選んでいた。男の子とはそんな言葉を使わないもの、と教えられても理解できず彼女を真似、なぞる。困って、苦心の末だろう。メイコは、誰もいないところでは、砕けた物言いで話してくれるようになったのだった。
メイコに気苦労を掛けたことは申し訳なく思う。だがこれはカイトには幸いだった。あのことがなければよそよそしく慇懃に声を掛けられていたかと思うとぞっとする。母はカイトを敬称を付けて呼ぶ真似さえ、メイコに強いていたのだから。
そしてもう一つ。カイトは傍らに置いていた義足を手に取った。
カイトは寝姿を見られることが嫌いだ。義足を履くまでは、どんな上級の家令さえも入室を許さない。勿論、メイコがいなくなるより後のことだ。
誰が何を奪っていくかわからない。自分の身の回りほどは自分で為し得なければ、この足のように簡単に奪われる。なくした足はカイトにそれを教えている。
カイトが左足に義足を着け終わると、ちょうど扉が叩かれた。カイトが入室を促すと、本来なら着替えに携わるはずの近侍が頭を下げて入ってきた。その表情に感情は見えない。けれどきっと、とカイトは思った。
きっと随分驚いたはずだ。高確率で扉を挟んで立ち合う彼は、カイトの寝起きの悪さを知っている。最初のノックに返答をしたことなど、これが慣習化してから一度もないはずだ。
まだ暗いので明かりを持ってきた近侍は、仄明かりを揺らしながらゆっくりと歩み寄ってきた。今日のカイトのための衣服を乗せたワゴンを押し、ベッド脇に止めると、カイトの座る隣に丁寧に服を並べて見せた。
「うん、いいね」
衣裳係が用意した一式を見、カイトは微笑んだ。いつもは彼らにすべて任せ、選ばせるのだが、今日の服の基本はカイトが指定した。
「姉さんは青い色を好いていたから」
濃紺の服地を撫でる。青い髪と目のカイトが着ると、ますます蒼褪めて見えるがそれでいい。カイトの髪と目は夏の空の青ね、と笑っていたメイコの顔が思い浮かぶ。
下がっていいよと退室を促し、カイトは着替えを始めた。
カーテンの隙間から白い光が射し込んできた。メイコはまだ夢の中だろうかと黎明の光を見ながらカイトは思った。
カイトが着替えを済ませ部屋を出ると、近侍に代わって初老の家令が立っていた。一礼をし、用意は整っている、と言う。コートも帽子もすでに彼の手の中にあった。カイトは鷹揚に一つ頷いた。
コートを着、帽子をかぶって玄関を開けさせると、車停めにはすでに馬車が待っていた。家の主人を乗せるための正式の馬車だ。カイトが歩み寄ると馭者が戸を開けた。
念のために、間に合うかと尋ねると、充分に、と答えが帰ってくる。うんやってくれともう一つ返して、カイトは乗り込んだ。
今日、メイコが日曜礼拝に歌うと言う報をくれたのは技師の青年だった。いつもは場末の酒場で歌っているのだが、怪我をしていたときに世話になった縁もあって、今日は修道院で聖歌を歌うのだと言う。またとない機会だとカイトは思った。
メイコが手紙に書いて送ってきた、場末の酒場に歌う者の噂を聞いたなりなんなりで興味を持って呼ぶ、という筋立ても策というだけなら悪くはない。
だがカイトはメイコを正式に迎え入れたかった。この馬車に乗せて迎えたかったのだ。彼女にはその権利がある。
窓外に楡の並木道を見ながら、同じ景色を見ながらメイコもこの屋敷を出たのだろうかと思いをはせた。けれどその時にメイコが乗せられていたのは、少なくともこの上等の馬車ではない。
曲がりなりにも伯爵家の令嬢であったのに、メイコは家紋の入った馬車には乗っていなかった。避暑地に行く時にもカイトとは別の馬車で、それをメイコと一緒がいいと駄々をこねたカイトがいつもこっそりと、屋敷を離れてからメイコの馬車に乗り込ませてもらっていた。
過ぎる景色を眺めていると気が逸った。メイコのことばかりを考えてしまう。
こんな風に突然に迎えに行って、どんな風に思うだろう。もしかしたらまた叱られてしまうだろうか。浅慮だ、と。
叱られてもきっと自分は笑ってしまうだろう、とカイトは思った。嬉しくてたまらなくて、相好崩れ、それでまた叱られるのだ。その様が易々と想像できる。
そして少し笑った後に、また思った。名を、呼んでくれるだろうか。母に言われた時のように敬称を付けてではなく、名を。
カイトが伯爵を継いだのは知っているらしいことが手紙から伺えた。ならば敬称を付けて呼ばれることは覚悟しなければならない。それでも近い内には必ず呼んでもらう。その心積りがある。
決意を青い目に点し、カイトはまた少し笑った。
窓外の景色が街並みに移っていった。道は幅を狭めて続いて行き、この先にメイコがいる。長かった、と思った。
・・・
馬車は多少大きな通りの方に止めて待たせ、カイトは修道院へ歩いて向かった。気は益々逸り、自然と歩も大きく速くなる。急げば路地が義足に響くのだが、今のカイトにはそれよりも鼓動の大きさが痛く聞こえた。
狭まる路地も極まったようなところに修道院は建っていた。建物全体はどこか疲れ切った様子だったが、足の向く者は多いのか賑々しい。感心なことだと思ったが、それは信心のためでないとカイトが知るのに、時間はかからなかった。
人込みに紛れるよう心掛け、帽子を目深に講堂に入ると中は一層賑わっていた。賑わいの中心には修道女が一人、否、修道女姿の女性が一人。カイトにはひと目で、メイコと知れた。
息の詰まる思いがした。傷の痛みをこらえながら笑ってくれた面影を残し、ただ、メイコは女性になっていた。
十年。離れていた時間は長く、カイトも幼かったが記憶の中のメイコも稚い少女だ。短くなった髪も、女性の肌に痛ましい傷跡もその一点に比べれば、然したる差異でもない。
若き伯爵というカイトの肩書に群がりくる麗しき『淑女』の煌びやかさはまるでないが、榛色の眸の光明るい女性になっていた。背は勿論カイトの方がずっと伸びているが、丸みを帯びた女性的な体躯は粗末な服の上からも見てわかる。カイトは背後から老婆の咳払いに促されるまで呆然と、立ち尽くしてその姿を見詰めてしまっていた。
講堂といっても小さなものだ。端と端にいても会話は筒抜けになる。メイコを取り囲む話題は、カイトの腰掛けた一番後ろの席からも、簡単に耳に捉えられた。
一座は傷跡の話で笑っていた。
首筋から頬へ這い上るような火傷の跡。ひと目だけでは驚くが、親を交えれば気にもならなくなると口を揃える。メイコも笑いの種にされているのが不満な顔はしているが、悲しんでいる様子はない。
この院の長だろう、風格ある修道女が言うのが聞こえた。泥濘に咲くには華がありすぎる。
そうだろう、とカイトは独り言つ。こんなところに咲いていていい花ではないのだ。
帽子を目深に下げて視線を隠したカイトは、去りかけたメイコが一度顧み、確かにカイトに目を止めたことに気が付かなかった。
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