カイメイ中心
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メイコ愛をこっそり謡う
伝えたる今。
空はよく晴れていた。塗り潰したような薄い青色で、鳥が二羽、翔けて往くのが見えた。見上げた窓辺から向き直り、カイトは青藍の眼差しを手の内の紙片へと向けた。
そこには遠方に住まう友人の近況が綴られている。高い爵位の家柄だが、謹直な性格が災いして国境の防衛に当てられているのだ。
それなりに悪くない日常だ、と書かれている。実在的にも政争の上でも中央を離され、強がりとしか思えぬと言う者もあるだろう。
だがカイトには友の文面に綴られる辺境の生活が、羨ましくさえ思えた。今現在目の前に、それとは対極の生活があるからだ。
机の端にしなだれるように寄りかかり、ラズベリーを噛み潰したみたいな赤い舌を動かし続ける女。絹のドレスから零れるような豊かな肢体は、確かに人によれば、魅力的にも映るのだろう。
だがカイトには嫌悪しか催させない。紡がれる言葉は耳当たりが良いばかりで空々しく、空虚な言葉を紡ぐ声は鼓膜にねっとりと絡みつく。疎ましい。
女の寄りかかっている厚い樫板を組み上げ作られた机は、堅牢なこの屋敷と、家名と、伯爵位と共に代々の当主に永年受け継がれてきたものだ。そして当代、つまり今現在の持ち主は他ならぬカイトだ。女の目的はカイト自身ではなく、カイトが受け継いだばかりのこれらのすべてなのだ。
女の声は続く。もはやカイトに女の言葉は意味がない。昼下がりの書斎に、水底に沈殿する泥のように声だけが積もりゆく。
「…吐き気がする」
カイトは呟いた。ひそやかな声であったから、女に語意は届かなかったようだ。怪訝そうに首を傾げた。
「いやこちらのこと」
カイトは女の眸を射るように見詰め、口角を上げた。耳に障る声が止まったのは、本当に幸いだった。
僅かばかりの安穏の沈黙が降りた室内に、ノックの音が響いた。カイトは目を遣り、女は忌々しそうにロータスピンクの長い髪を掻き上げ振り返った。
主たるカイトが入室を促すと、入ってきた初老の男は恭しく一礼をした。この家の家令の第一だ。頷くと歩み寄って来て、そっと耳打ちをした。
今入ってきたばかりのドアに一瞥を送る。その陰に半分身を隠し、一人の青年が目礼を遣してきた。彼を認め、カイトは冷然と告げた。
「フロイラインはお帰りだ。丁重にお送りしろ」
女は憮然とした表情でその言葉に抵抗を示したが、一切顧みないことで意思を示す。傍らのステッキを取り、立ち上がった。
「申し訳ありません。今日の客は少々特別なのです」
女の眼差しが僅かに色味を変えるのが見えた。だが彼女は誤解をしている。
青年が持ってきたのは、カイトがずっとほしかったものの行方だ。女はおそらく『特別』の単語に爵位か、それに類する権威か金権かを想像したのだろうが、そうではない。カイトがずっとほしかったのは爵位ではなく、それに類する財貨でも権力でもない。
カイトがほしかったのは、ただ一人。
ただ一人、の。
記憶に彩鮮やかなその人を、思い描いたカイトの面に暗い微笑が浮かぶ。そのややもすると剣呑な表情に気圧されたか、不承不承とは見て取れたが、それでも家令に送られて女は辞していった。
そして女の去った扉から、青年が現れた。鳥打帽を目深にかぶった、コート姿の青年は貴族の屋敷にはどことなく不似合いだ。
「よろしかったのですか?」
だがカイトは気に留めない。かつりと杖を突き、机の前に回る。
「構わないよ。そもそも呼んだ覚えも、来訪を約束された覚えもないんだ」
社交場にお決まりのダンスパーティーで数度、会話しただけの相手だ。是非一度訪ねさせてくれと言うから、我が家で何か催した折には、と答えた気はする。それだけだ。
それだけだというのに、こんなプライベートスペースにまで押しかけて若き伯爵と誼を結ぼうとする、浅ましいまでの懸命な姿勢には感服する。単に、カイトの若さの足元を見て、あわよくばとの思いに駆られているだけかもしれないが、その意欲をカイトは高評する。家筋に括られた定めを、振り解こうと足掻く様にカイトは共感できるからだ。
だから他の機会であれば、その懸命さに免じて相手をしても良かった。勿論、その懸命な意欲に応じたものとなっただろうが、相手をしても良かったのだ。
青年はカイトの内心をどこまで読んだか知れない。そうですか、と肯きながらも窺い見るような視線を遣してきた。
「地位も栄誉もすべてはあの人のためのもの。あの人に関わるものが目の前にあるのに、公爵令嬢のご機嫌伺いなんてする理由はないよ」
断言すれば苦笑が返ってくる。
「手厳しい」
だが憐れむ様な声音がどこまで本物かについて、カイトは信用していなかった。青年が女を憐れむ理由など一つもないからだ。あるいは理由など一つもないからこそ、無責任に哀れだと思うことができるのか。
どちらにしてもその憐れみは何がしかの形になることもない。青年はカイトの目算を肯定するように、一つ瞬きの間に表情を改めた。
「時間も有りませんので手短に。間違いはないようです」
そうして青年は簡潔に経過を告げた。
「頭の良い方ですね。次には別の者を遣してくれと仰っていました」
胡乱に思う気持ちもわからないでもない。だが当然のことと理解できる彼女の警戒が、カイトに対する拒絶のように感じられて空寒い気持ちになる。それでも内心は押し隠して青年を労った。虚栄で飾られた世界でそれなりに名をはせている自負もある。
だから青年が気付いたとは思えない。
「それから、これを」
鞄から一本の小さな木筒を取り出した。カイトの目の前で開かれるそれには、一枚の紙切れが入っていた。丁寧に折りたたまれた紙片が手渡される。
カイトは訝り、差し出されたそれを手にした。青年が白い微笑みを浮かべる。
「姉君から、貴方様へのお手紙。確かにお渡しいたしました」
その瞬間、カイトの意識は釘付けになった。折りたたまれた紙片。そこには彼女がしたためた言葉がある。
恭しく礼をして、青年は辞していった。それを上の空で見送った。
誰もいなくなった書斎に一人佇む。窓辺には秋の陽が金に色付きながら落ちかかっていた。
ゆっくりと紙片を開く。崩れた字で、宛名にインクが滲んでいた。拙い字だった。
かいと へ
お元気ですか
めいこ
カイトは指でそっとなぞって、零れ落ちる涙を堪えきれなかった。
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