カイメイ中心
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メイコ愛をこっそり謡う
これにて第一部、了。
駆けていくメイコを必死で追いかけた。スカートを翻し、走る後姿に義足の足は追い付かない。悔しさに歯噛みしながら、カイトは懸命に歩を進めた。
息を弾ませながら厩舎につくと、メイコは厩番の一人と話をしていた。十年前からいる、メイコとも顔馴染みの使用人だ。息を整えながら歩み寄っていくと、会話の欠片が拾えた。あの仔は人を恨むような仔じゃないし、私も貴方を恨んでない。
メイコが可愛がっていた栗毛の馬のことだろう。
「お人好しすぎるよ、姉さん…」
厩番の行為に気付いた、その察しの良さは評価できる。けれどその本性を良い方向にしか取れないのでは、彼女自身が身を守れない。
だとすれば。
カイトは呼吸と表情を整え、二人に歩み寄って行った。メイコが彼女自身を守れないほどにお人好しなら、カイトが守るのだ。傷つける者は誰も、赦さない。
厩番はメイコの言葉をただ黙って聞いている。俯き、肩を震わせて、歩み寄ってきたカイトにさえ気が付かない。固く目を瞑り、かぶりを振った。
「いいえ、おれにはそんな資格ないんです…!」
頑なな態度の意味を、メイコは理解できないだろう。細い背の後ろに立って、カイトは厩番の男を見下ろした。
「ああ、やっぱりお前か」
榛色の眸が驚いて振り返る。手を取り、肩を抱き寄せたいほどに隙だらけで、いっそ腹立たしい。彼女には、わからない。
冷たく見降ろしたカイトの眼差しに圧されてか、がくがくと震えながら厩番は告白した。十年前、生死の境をさまようほどだったメイコを、運び出したのは自分だと。
「そう…です…おれが、お連れして…」
冬の夜だったと言う。せめて外出に使う馬車をと懇願したが許されず、荷馬車に藁を敷いて乗せて出たと言う段に至って、カイトの思考は煮え滾り、心は冷え切っていた。
撃ち殺して、構わないはずだ。主家の令嬢を荷物扱いしたのだ。けれど。
「カイト」
懐に差し入れた手に、メイコの傷だらけの手が触れていた。指の先を欠き、火傷の痕おびただしい手。カイトを守ってくれた手だ。
「知ってるわ」
カイトの手に手を置いたまま、メイコは厩番に向き直る。もう一度、知っている、と宣言して穏やかに微笑んだ。
「毛布も、上着も、全部貸してくれたでしょう? 私が寒い思いをしないようにって置いて行ってくれた上着、貴方が奥さんに編んでもらったものだって言っていたの、覚えていたの」
カイトも、厩番も、ただメイコを見詰めていた。紡がれる声は温かで、穏やかで、冷え切った心を温め、煮え滾った思考を冷ましていく。
「話しては駄目だと言われていたのではないの? でも院の人、みんな知っていたわ。どうか助けて下さい、って祈っていったんだって」
厩舎を管理しているとはいえ、主の指示なくその財貨である馬も車も動かすことは厩番にはできない。荷馬車しか駄目だと言われたから、自分の財貨である毛織物を全部出して、なるたけ綺麗な藁を一番暖かくなるように敷いて、彼はメイコを修道院に運んだのだ。厩番は膝を折って泣き出し、そう告白した。
メイコは振り返り小首を傾げる。ね、とでも言うように眸を細められ、カイトは懐に差し入れた手を力なく下ろした。
メイコの手が離れていった。
「夏の旅行の時に、カイトの我儘を聞いてくれたのも貴方だったわ。母さまに知れたら貴方が危ないのに、同じ馬車に乗せてくれたの、覚えている。貴方だから、私、カイトへの手紙も託せると思ったんだもの」
お陰で私、帰ってこれたわ。ありがとう。
笑んで、崩れ落ちた厩番の傍らにためらいなく膝をつく。カイトは呆然とメイコを見詰めていた。
十年前、優しく向けられる笑顔も、やわらかく髪を撫でてくれる指先も、すべてはカイトのものだった。けれど今、取り戻したはずのそれらがなぜ、他人に向けられている。理解ができず、ぬるく溶けた心も、どろりと冷めた思考も、混ざり合ってぐちゃりと不可解な形を成していく。
呆然としていたカイトは、メイコの指先が厩番の肩を慰めようとするのを見、はじかれるように手を伸ばした。力任せに掴んだ腕は、細い。
「ねえさん」
驚きに瞠られた榛色にも構わずその細腕を取り、引く。急に引き上げられてよろめいたやわらかな体を抱きとめた、その時だけ少し気持ちが収まった。
「来て」
困惑に小首を傾げながら離れようとするメイコの手を引き、カイトは歩きだした。気付いたらしい厩番が悲痛な声を上げ背後から呼び縋ってきたが、止まる足も心持ちもない。
庭園を抜けていく。どちらかと言えば裏手の、回遊路からは外れた道筋になるが景色は整えられていた。十年前から変わらず、庭師が手を入れている。
その庭の、少し奥まった場所。歩くには少し時間がかかり、カイトには足のこともある。馬でも出さなければ普段は来ないところだ。
「カイト…?」
目の前には粗末な小屋がある。怪訝そうなメイコにも、ここがどこなのかはわかっているはずだ。メイコにわからないのは、どうしてカイトがここに連れてきたか、だ。
ノックもせず、カイトはノブを握った。彼にはその権がある。
「カイト!」
それでもメイコは非難するように名を呼び、それがいっそうカイトの心を煽る。榛色の眸が、まるで自分を見ていないような気分になる。
外見と同じに粗末な小屋の中には二人の男がいた。老境に達した一人は、座っていた椅子から落ちそうになりながらカイトを呼ぶ。旦那様、と。
老人は庭師で、そしてもう一人、その息子は初めから部屋の隅に膝を抱えていた。カイトの用があるのは、庭師の息子の方だ。
「そいつだよ」
カイトは顎で示した。
「そいつが火を付けて俺たちを殺そうとしたんだ」
老境の庭師が、がくりと膝をついた。手を組み合わせ神に祈る言葉を呟いている。けれどカイトは神ではないから聞こえない。
メイコにも聞こえている様子はなかった。榛色の眸がひたすらに部屋の隅の男を見ている。カイトが手を緩めるとゆっくりと庭師の息子に歩み寄って行った。
メイコがその傍らに膝をつくと、庭師の息子はびくりと肩をすくませた。この十年、彼は気をおかしくしていて、極度に人を恐れるのだ。
「貴方が、館に火を付けたの? どうして?」
メイコの声が凛と通る。庭師の息子はがくがくと震え、庭師が涙ながらに訴えた。
「仕方なかったのです。奥様に請われて、息子は断れずに、あの頃は孫が出来たばかりで」
綺麗事だ、とカイトは思う。そんなのはすべて彼らの都合で、殺されかけた者へのなんの言い訳にもなりはしない。
「そう…。母さまに頼まれて…」
呟いたメイコの声に感情は聞き取れない。俯き、何かを思っているのかもしれなかった。押し黙って、そしてふと顔を上げた。
静かな声が、りいんと尋ねる。
「それで断れなくて、殺さない方法を考えてくれたの?」
カイトは目を瞠った。なぜ。どうしてそんなにも肯定しようとするのか。炎に包まれた館を、忘れたはずはないだろうに。
メイコは体中に火傷を、カイトも片足を失った。
「姉さん!」
カイトの声を、どう受け取ったかわからない。メイコは振りかえり、ひたと見詰めてきた。榛色の眸に責められているようで、胸が苦しい。
不意に、その眸の色が和らいだ。
「なんで、そんな泣きそうな顔してるの」
そんな顔はしていないと否定したかったが、聞いてはもらえそうになかった。和らいだ色の眸は、カイトを見詰めている。
「ね、カイトは覚えてないと思うけど、あの館の燃え方、おかしかったの。壁ばっかり燃えてて、踏み抜けた階段も多分、もともと板が腐ってたところだわ。勝手口のドアだって、子供の体当たり一回で壊れちゃうなんておかしいし、うまく逃げられるように誰かが仕組んでくれていたとしか、考えられなかったのよ」
メイコの眸には確信がある。庭師は呆然と息子を見、カイトは感情の行き場をなくして歯噛みをしていた。
部屋の隅、頭を抱えて震えていた庭師の息子が、掠れる声を絞り出した。
「ちが、うんです…」
メイコはもちろん、カイトも知らなかったことだが実に十年ぶりのまともな言葉だった。掠れた声音の告白は続く。
「おれ、本当はドア、破って入るつもりで…お嬢様、助けるはずで、なのに…!」
計らずもついてしまったドアの火に、二の足を踏んだのだ。燃え盛る炎に恐怖心は煽られ、手斧を握りながらそれを振るうことができなかった。他の使用人たちを呼んで、何とか火を消す算段を取ったが、中に人がいると知っているのは彼だけだ。
火の回りを早くしたのは人目を集め、衆目の中で助けないわけにいかなかったと理由を作るため。一度派手に失敗をしてしまえば、伯爵夫人も手を重ね難くなるだろうとも思っていたらしい。
言い訳だ、とカイトは叫んで訴えたかった。どんな思惑があったとしても、彼の行いに変わりはない。
たった十二。そんな子供のいる館に火を付けた。
けれどメイコは、小さく一つ、呟いたきりだった。
「そう」
呟いて俯き、メイコは再び顔を上げた。
「もう一つだけ聞かせて」
部屋の片隅、うずくまる男を見詰め、告げられる言葉は断罪だろうと誰もが思っていた。告げられる男は裁かれてしまうことを望んでいたし、男の父は諦めと共にそれを覚悟していた。そしてカイトは。
カイトは切望していた。メイコの言葉次第で、この場で処断してもいいと思うほどに。けれど。
やわらかな声が紡いだのは、断罪ではなかった。
「貴方はまだ、私を主家の者と認めてくれる?」
カイトは目を瞠り、庭師は言葉をなくした。呆然と、ただ呆然と二人が二人を見遣る中で、メイコは明朗に告げた。
「私をこの家の娘と認めるなら、こちらを向きなさい」
粗末な小屋の隅で震えていた粗末な身なりの男が、恐る恐ると視線を向ける。カイトの見詰める前で、メイコはその男に向けて手を広げ、にこりと微笑んだ。
「貴方が一生懸命考えてくれたおかげで、ほら、私は生きているわ」
メイコが何を言わんとしているのか、カイトにはもうわかっていた。だがそれは納得しがたいことだった。メイコは死にかけたのだ。死にかけ、生き延びたけれど年頃の女性が肌に残る傷を負わされて。
どうして笑うことができる。カイトには無理なことだった。いっそ彼女が、庭師の息子を憎んでくれたなら。
憎んで、詰ってくれたなら、その想いに答えることができたのに。
庭師とその息子に向け、妻子はどうしたのかと尋ねている。その横顔にカイトが胸の内に抱えるようなわだかまりは欠片も見えない。突き刺さる胸の痛みに与える名を絶望としても、彼の心には少しも大げさではなかった。
思い詰めていたカイトは、メイコがいつの間に立ちあがっていたのかまるで気付いていなかった。傍らに立った榛色の眸が、じっと見上げてくる。
「つれてきてくれて、ありがとう」
微笑まれても、胸苦しさが消えない。粗末な小屋を出、また来るわ、などと主家とも思えないことをメイコは言っていた。庭師が見送る後ろで、その息子がふらりと立ち上がり頭を下げていた。メイコは嬉しそうだった。
・・・
屋敷へと戻る道を行く。庭園内の回遊路だ。下草が寂しげに紫の花を残している。この庭もじきに冬支度に入るだろう。そしてそれは庭師の仕事だ。
じわりと足が痛んだ。園内用の馬車を呼ぶか、と少し考えた時だった。
「カイト」
振り返る。少し驚いた。メイコが数歩後ろにいた。
柳の眉を少し難しそうにひそめ、榛色の眸がじっとカイトを見詰めている。首を傾げると、不安そうに尋ねてきた。
「誰か、呼んでくる? 車を出してもらった方がいい?」
見詰めてくる榛色の眸の案ずるものを、察するのにも少しかかった。左足、とはっとして、いつ、とカイトは尋ねた。
「馬車を下りたとき。お店の常連に片足動かせない人がいたから、わかったの」
乗るまでは舞い上がっていて気付かなかった、と告白してきたメイコが物悲しげだった。
「ごめんね、私、カイトのこと守れなかったんだね」
カイトは頭を振った。違う、と言った。
メイコが守ってくれたのだ。その指を欠いて、傷だらけになって。
歩み寄ろうとすると、メイコの方から近付いてきてくれた。十年で逆転した身長差を見下ろすと、見上げてきた榛色の眸が細められる。
ふっくらと丸みを帯びた身体も、短くなった胡桃色の髪も、榛色の眸も。染め色のない薄桜の唇も。改めて見下ろすすべてが、カイトの胸の奥に薄ら明るく灯を点した。
そっと頬に手を当て、親指でその唇をなぞる。守られるためでなく、守るために貴女を探し出したのだとカイトは告げた。
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