カイメイ中心
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メイコ愛をこっそり謡う
これより第三部。
日も暮れかかる広い室内は暗い。カーテンは引かれてはおらず、残照が陰影深い視界を作っていた。
部屋には豪奢な天蓋を設えたベッドが置かれている。柔らかな布団に埋もれるように一人の人間が眠りについていて、窓枠の格子影の端が少しだけかかっていた。
そして部屋にはもう一つ人影があった。それはまるで白い影のよう。見る者があったなら、淡く浮かび上がって目に捉えられたかもしれない。
白い肌に白いドレスを纏い、淡い翡翠色の長い髪を結った少女は、ミクだった。ミクはベッドに横たわる寝姿を、その傍に立って見下ろしていた。
人物は昏々と眠っている。ミクはただ見降ろしている。
やがて世界に夜が降りてくる。残照は赤く燃え、空の端が紫から藍色へと染まり出す。黒い鳥の影が西へ羽搏いていく。ミクは顧み、踵を返した。
部屋の半分はもう、薄暮に、あるいは宵闇に沈んでいる。人の目には輪郭さえ朧げになる。誰そ彼だった。
夜の淵に沈んだ鏡の前に佇み、ミクはそっとそれに触れた。鏡面には同じように手を差し出し、ミクに触れる人影が映る。しかし少女ではない。人影は青年だった。翡翠の色の髪、眸。白衣の青年の口元に笑みが浮かぶ。
「もうじきだね」
ミクの眸が笑う。
「ええそうよ。もう、すぐよ」
青年の肩が揺れる。押し殺した笑声が静かな室内にさざめき、そしてまた夜が深くなる。
「でも困ったね」
言う、青年はさして困った様子もない。ミクは眸を細め視線を外し、彼をまた自分を困らせるその相手を思い描いた。
「本当に」
声はどこか楽しげだ。
「あんなにも聞かないなんて」
暁光のような眼差しを思い起こす。緑翠の眸を真正面に見据え、決して逸らそうとしなかった。
「とても美しかったね」
細められた眸に、ミクは肯いた。
「ええ、とても美しかった」
鏡映しに微笑が浮かぶ。向かい合うのは少女と青年。しかし浮かぶ微笑は同じ。
「時間はないのにね」
淡い光を残していた空が最後の輝きを消していく。夜に埋没した部屋の中で、しかし鏡を挟んで向かい合う二人の姿は白く浮かびあがっていた。
「いいのよ」
薄桃色の唇に弧を描き、ミクは答える。
「もう時間はいらないのだもの」
陽が落ちるように、空が暮れるように、やがて幕は下ろされる。成し得たはずなのに成し得なかったことはない。
「舞台に上るのは?」
掌を上に、ミクは開いて見せる。
「五人」
そして一人、親指を折る。侯爵家の娘、ルカ。
「くろがねの輝きを」
二人、人指し指を折る。双子の姉、リン。
「金色の杯を」
三人、中指を折る。双子の弟、レン。
「雪のように白い粉末を」
四人、薬指を折る。王女の兄、カイト。
「黒鉛の、丸薬を」
最後に小指を下り、五人。数え終えたと、手を開き鏡に向けて翳して見せた。
伯爵家の娘、メイコ。彼女には。
「赤い血の彩りを」
これですべて。ミクは終幕を思って微笑んだ。感嘆もなく、青年が静かに頷いた。
あと僅かばかり。少しの出番を残して、ミクは一足先に舞台を降りる。終幕にミクはあくまで観客だ。
夜の漆黒が訪れる。月はなく、かそけき星明りはミクの佇む真暗にまでは届かない。
青年が、微笑みに向かって問いかける。
「君ならわかる?」
鏡の中からの問いかけに、ミクは小首を傾げた。青年の白い面差しには薄い、涼やかな微笑が浮かぶだけだ。
「伯爵夫人はどうして彼の前で毒を含んだのかな」
三倍もの体重がある馬を苦しませず殺すための毒薬は、女ひとりをいとも簡単に鬼籍へと連ねさせる。眼前の死に様に、彼はその毒の名を知ったはずだ。
知らしめたかったのか。なぜ。
ミクは虹彩を微かに揺らめかせ、答えた。
「誰よりも愛して、何よりも憎んでいたのでしょうね」
真実は亡き人の胸の内にしかない。それを得ることは、ミクにもできない。
青年の面差しが笑う。
「君がそうであるように?」
口許に手をやり、くすくすと笑声を零した。
「貴方がそうであるように」
口許からその手を離し、鏡面に付ける。白い手はまるで静まり返った水面に沈むように、ゆっくりと鏡面を通って行った。
手から腕、肩、とミクは鏡をくぐり抜けていく。長い髪の端まで通り抜け、夜の寝室に人影はなくなった。
「さて幕は降りるのかな」
ミクは答えなかった。一度だけ、鏡の中から振り返る。
天蓋の幕の降ろされたベッドの中では、白い頬の少女が眠っていた。
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