カイメイ中心
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メイコ愛をこっそり謡う
歌い、踊り、巡れ。
若き伯爵が侯爵家の令嬢を伴って歩く。その様を振り返らぬ者はない。
かつて彼が女性を連れて歩いたことはなかった。どの家のパーティーにも一人身で現れ、乞われてダンスを披露することはあっても、決して伴って挨拶をすることなどなかったのだ。だからその光景は、驚嘆と羨望と嫉妬とをないまぜにした視線に晒されることになった。
まるで光の当たる舞台を歩くようだった。何気なく人の波を縫い、顔見知りを見付けては立ち止まる。ただそれだけのために人の波間がさんざめく。彼が彼女を、あるいは彼女が彼を紹介する仕草を、人の波ほどの視線が追う。
ルカは揚々としていたが、表しては見せずカイトの気鬱はひどかった。彼らを認めて誰もが直ぐさに口許を隠す。隣に立つ連れ合いの耳を打つためだ。
その口から、耳を通して、また口へ。根も葉もない噂が流れ出す。カイトにとっては不本意極まりない噂が。
一言二言。挨拶を交わした知人には釘を刺しておいたが、それもどれほど効のあるものとも知れない。顔見知りだと言うだけで、本心では失態を願っている者もある。彼らがただ嫌がらせのためだけに、有りもしないことを吹いて回るとも限らない。暗澹とした気持ちが広がり、じわり、無機物に乗せた左足が痛むようだった。
煌びやかに着飾った世界。夜の帳が下りた時刻とも思えないほど明るく照らされて、けれど。
カイトにはずっと色褪せて見えていた。本当に光り輝くもの、明るいものは何もない。虚飾の世界だった。
こんなことのためではなかった筈だった。ついてこない左足を叱咤しながら、見せられる程度に踊れるよう訓練を積んだのも、親族を排しても伯爵家が維持できるように根を回し、手を回し、虚ろの世界で笑って見せた、すべて。彼女を置いて傍を離れるためでも、意でない女に連れまわされるためでもない。
そしてふと至る。では、何のため。
ステッキを握る手に力が入る。それ以上を考えれば、向き合わなければならなくなる。思考を振りほどいた。
「そろそろ……ご兄弟が気になるのではありませんか」
穏やかを装って声をかける。足元を見た帰参願いだ。
侯爵家の長子が本妻の子である弟妹に、穏やかならざる感情を抱いているのは周知の事実。だが彼女はそれを公に言われたくはないらしい。平然と兄弟の失脚を口にする者もいることを鑑みれば、まだまともな感性の持ち主なのかもしれない。
ともかく彼らを引き合いに出せば、きっと冷静ではいまいと思ったのだ。けれど。
は、とカイトに留まった眸は、驚きに見開かれるでもなく、怒りに震えるでもなかった。残照が夜闇に埋没するように色味を変えていく。深く沈んだ水底のように暗い眸が、カイトを見て笑んだ。
「気になっているのは……貴方の方ではなくて」
いかにも冷静な声音に首を捻る。激情に駆られればいつも、声を張って存在を訴えるのが常であったはずだ。もしくは唇を噛んでその声を殺すか。
意外、だった。
「……彼女のことを言っているなら、それは当然ですよ。彼女は、俺の」
意外と思うだけの余裕はしかし直ぐさにかき消された。
「『大切なひと』?」
ルカが見据える。彼女とは似ても似つかぬターコイズブルーの眸。あの双子の浅い空の色に似た眸だ。彼女の弟妹でもあるあの双子。
そしてカイトは彼女に向けられる憎悪を知る。その変わりゆく眸の彩りで。
「あの方。貴方の『大切なひと』。本当は、お姉様なのでしょう?」
微笑みの三日月の形に撓められ、ルカの眸は暗らかに光る。知っている、と暗に言い示す。ああそうか、とカイトは思った。
その眸が得ようともがくのは、爵位と結ぶ婚姻だけではないのだろう。庇護される立場。愛され、愛でられ、愛しまれる立場をこそ欲している。
伯爵の妻の座がほしいというだけなら、くれてもやっても構わない。だがルカの本意のために彼女は、さぞかし邪魔になるだろう。そんなことは赦さない。
カイト自身の表情はその目には映らない。だが目の前の女と同じ、暗い微笑が浮かんでいるはずだ。暗い思考の片隅で思う。
「誰より大切なひと、だ」
女が薄く笑うのを、カイトは未だに嘲る心持ちで見ていた。敵意がメイコを害すならば、必ずそれを赦さない。
互いに低く、囁き合うかのような声の低さで交わし合う。一見には談笑にも捉えられたかもしれない。なぜなら一つだけ、彼らは同じものを共有していたからだ。穏やかに笑い合うのと同じように、けれど穏やかさとは正反対のものを一つだけ共有していた。
それをカイトは察することができなかった。ルカのその意図を、敵意としてしか理解しなかったから気付けなかったのだ。見落としてはならないものを見落とした。
「大切?」
乾いた唇が、わらう。
「ならばなぜ、目を離したりしましたの?」
下から伺い覗き見るようにカイトを捉え、艶麗な微笑みを浮かべる。その艶やかさは嫌悪ではなく空寒い感情をカイトに与えた。
「本当に大切なら、決して離してはならなかったのに。目を離して、手を離して、誰にも奪われないと思おい?」
はっとして顧みる、人波の向こう。背筋を恐怖が這い上る。思い出すのはうららかな日差しの射す、誰もいない部屋だ。
辺りを火に包まれた時でも、辺りを包んだ火でもない。片足を押し潰されたことでも、瓦礫に押し潰された足の痛みでもない。怖くとも、痛くとも、その時傍には彼女がいた。
本当の絶望は、メイコをなくしたと思った時だ。
「ミクが、来ているわ。貴方の大切なひとを見に」
弾くように手を振り解いていた。足は知らず走り出す。
人波をわけて、行く。時折ぶつかりそうになりながら歩を急ぐ姿に、訝って振り返るものもあったが、カイトの目には留まらなかった。
そこに居る人々は、カイトの目には留まらない。林立するただの形であって、個々に意味をなすものではなかった。妨げになる人の姿の形を避けて、足を急がせた。
ルカの言は正しい。なぜ目を離したりしたのだと、浅慮を悔やむ。人の波の陰に彼女の姿を見付けた時には少しだけ、胸が温もった。だが。
先に気付いたのはミクだった。視界の端にカイトを認め、ちらりと笑う。メイコとはすでに会話を弾ませているようだった。
メイコは腰の周りに双子の姉の方をまとわりつかせ、カイトの苛立ちを知る様子もない。手袋に包まれた指が金色の髪をさらりと撫ぜる。遠い日にカイトの髪を撫でた指。心は奇妙なほどささくれ立つ。
大股に歩み寄って行って、その足音に振り向いた彼女の手を取った。その手を包む長手袋は、人目を気にする素振りもあるからカイトが選んで用意させたものだ。
「帰ろう」
振り向きかけていた榛色の眸は驚いて、丸く見開かれた。唐突に腕を取ったカイトを見詰め返し、メイコは少し咎めるような口調をする。
「どうしたの?」
短い言葉で告げた不躾な様子に対してか、ルカを連れずに戻ったことについてか。両方を含んでだったかもしれない。だが咎めだてるようなメイコに拘わず、カイトはその腕を引いた。
「もう帰ろう」
双子の姉の不満げな声も、弟の冷ややかな眼差しも届かない。ミクの薄く何かを含むような白い微笑にだけ一瞥をくれ、カイトはメイコを見詰めた。唇がかすかに揺らぐ。榛色は物言いたげにカイトを窺ったが、やがて微笑を作り、そうね、と頷き答えた。
リンやミクに、そして愛想のないレンにも挨拶を返し、手を引くカイトに諾う。ついてくるメイコが案じるような眸で見ていることに気付かなかったわけではない。振り切り、気付かない素振りでいた。
伯爵家の印章を持つ馬車を呼び、乗り込む時にメイコは随分カイトを気遣ってくれた。手を差し出して先に乗ってと促す。足が痛むのではないかと、それを気にかけていたらしかった。
まるであべこべだよ、と思わず笑うと、構わないのだと言い切った。カイトを守るのが私の役目だもの。
彼女は変わらない。ほんの僅かなことにも気付かされる。
それでも。
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